童話のような国栖人の暮らし
国栖人(くずびと)は純粋素朴で普段は山の木の実を食べている。
カエルを煮た『もみ』というご馳走を作る。
歌い終わると口を手の平で叩き天を仰いで笑う。
日本書紀の国栖人についての記述はまるで童話の一場面のようです。
国栖人が最初に歴史に登場するのは、九州で挙兵したイワレビコが大和へ進出して来る場面です。
イワレビコ達が吉野(奈良県吉野)まで来た時、『尾のある人』に出会います。
尾のある人は『私は石押分の子です』と名乗りました。
この人が国栖人の先祖です。
『尾のある人』というのは文字だけの表現なので、実際どのような風貌だったのかは分かりません。
日本書紀には他にも『角の付いた鹿の毛皮を着物にしている人』が登場するので、『尾のある人』も『尻尾の付いた毛皮を着物にしている人』かもしれません。
この時はまだ戦いに明け暮れていたイワレビコ軍ですが、吉野で出会った国栖人の先祖の事は敵と見なさなかったようです。
国栖人の先祖側も、抵抗も歓迎もせずにただ通り過ぎただけのようです。
この後、イワレビコは大和の支配者(初代・神武天皇)となりますが、険しい山と深い谷に守られた吉野の国栖人達の生活は、誰が統治者であろうと何の影響も無かったのかもしれません。
次に国栖人が歴史に登場するのは、第15代・応神天皇の時代です。
応神天皇19年冬10月1日、吉野宮にやって来た応神天皇を国栖人達が酒と歌で饗しました。
古事記には、国栖人達が皇子オオサザキ(後の仁徳天皇)の剣を讃めて歌った事も書かれています。
地形の険しさ故、それまで都に出て来る事は滅多に無かった国栖人達ですが、応神天皇との交流以降、栗やキノコ、鮎などを持ってしばしば都へ出てくるようになりました。
つる植物の『葛』も、国栖人達が根っこからでん粉をとっていた事から『くず』と呼ばれるようになったと言われています。
国栖人達は大友皇子(天智天皇の息子)の追手から大海人皇子を隠して助け、酒や料理で饗して慰めたそうです。
朝廷の支配地域が拡大し続ける中、朝廷と目と鼻の距離であっても国栖人達は変わらず狩猟採集の暮らしを長く続け、朝廷側も国栖人の暮らしに深くは介入せず、友好的な関係を維持していたようです。





