大人になるまで話せなかった皇子
ホムツワケは第11代垂仁天皇の第一皇子です。
母は皇后のサホビメ。
ホムツワケは生まれてすぐに、母と死に別れています。
その悲しい理由はこうです。
垂仁天皇4年秋9月23日
皇后サホビメの兄のサホビコが謀反を企てました。
サホビメは夫である天皇と兄との間で板挟みになり、苦悩しました。
5年冬10月1日
サホビメは天皇に兄の計画を打ち明けると、兄が立て籠もる稲城(稲藁を束にして固く積み上げた砦)に入ってしまいました。
そして生まれたばかりの御子を天皇に託し、兄と共に燃える稲城の中で死んでしまいました。
天皇はサホビメの忘れ形見であるホムツワケをとても可愛り、常に側においていました。
しかし、ホムツワケは大人になっても話す事が出来ませんでした。
23年冬10月8日
白鳥が大空を飛んで行きました。
ホムツワケはそれを仰ぎ見て、
「あれは何?」
と片言のように言いました。
その声を聞いた天皇は、大喜びして言いました。
「誰かあの鳥を捕まえよ!」
アメノユカワタナが言いました。
「必ず捕まえて献ります。」
ユカワタナは白鳥を追って出雲まで行き、ついに捕まえました。
(但馬国で捕まえたという説もあります。)
11月2日
大和国に還ったユカワタナが白鳥を奉りました。
ホムツワケはこの白鳥と戯れているうちに、物が言えるようになりました。
ユカワタナは褒美と姓を授けられ、鳥取造(ととりのみやっこ、朝廷に献上するための鳥を捕獲する人々の管理者)となりました。
古代、鳥は死者の魂を運ぶと考えられていたようです。
ホムツワケが声を出すきっかけになった白鳥は、ホムツワケの魂に欠けていた「何か」を運んで大空を飛んでいたのかもしれないし、亡くなったサホビメの魂を運んでいたのかもしれません。
以上は日本書紀のホムツワケのお話です。
古事記にも同じ話が書かれていますが、白鳥を追って行くのはアメノユカワタナではなく、ヤマノベノオホタカという人です。
山辺(奈良県山辺郡と天理市)の豪族です。
オホタカはとんでもなく長い距離を移動することになります。
先ず大和国(奈良県)を出発して、
木の国(紀伊、和歌山県)、
針間の国(播磨、兵庫県西南部)、
稲羽の国(因幡、鳥取県東部)、
旦波の国(丹波、京都府と兵庫県の一部)、
多遅間の国(但馬、兵庫県北部)、
近つ淡海の国(近江、滋賀県)、
三野の国(美濃、岐阜県南部)、
尾張の国(愛知県)、
科野の国(信濃、長崎県)、
高志の国(越、北陸地方)まで追って来て、
和那美の水門(場所不明)に網を張り、やっと白鳥を捕まえます。
ですが悲しい事に、この白鳥を献上してもホムツワケは話せるようにはなりません。
太占で占って出雲の大神の祟りだという事がわかり、出雲の大神を丁寧に祀って、やっとホムツワケは話せるようになります。


