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霊剣フツノミタマの足取り

雷神タケミカヅチの剣

フツノミタマは、フツ(物を切る時の擬声音)のミタマ(御霊)です。

霊剣フツノミタマが日本神話で最初に登場するのは、タケミカヅチが出雲の大国主に国譲りを迫る場面です。
出雲の国に降りたタケミカヅチが、五十狭小汀(いたさのおばま、島根県出雲市大社町の稲佐浜)で逆さに突き立てる剣がそれです。
タケミカヅチは葦原の中国(あしはらのなかつくに、地上世界)を平定し終わると、フツノミタマを携えて高天原に復命します。

その次に登場するのは、天孫ニニギのひ孫イワレビコが天下を治めようと西の宮(宮崎県宮崎市)で挙兵し、東征を開始した時です。
戦いに明け暮れるイワレビコ軍が紀伊の国熊野の村(和歌山県新宮市)で窮地に陥った時、タケミカヅチがタカクラジ(天孫ニギハヤヒの子で尾張連の遠祖)を介してフツノミタマをイワレビコに授け、イワレビコ軍は勝利します。

ついに大和に到達したイワレビコ軍は、ナガスネヒコ(大和の豪族の長)の軍と対峙します。
ナガスネヒコ軍の君主ウマシマジ(天孫ニギハヤヒの子で物部氏の祖。熊野のタカクラジの異母弟)は、イワレビコも自分と同じ天孫であるとナガスネヒコを説得しようとしますが、断念。
ナガスネヒコを斬殺して、イワレビコに帰順しました。
イワレビコはウマシマジに感謝し、霊剣フツノミタマを褒美として与えました。

イワレビコは畝火の白橿原(奈良県橿原市の畝傍山の麓)に宮を建て、初代神武天皇となりました。
ウマシマジは霊剣フツノミタマを宮殿内で崇拝し祀りました。

時はくだって、第10代崇神天皇の7年、ウマシマジの6世孫のイカガシコオが山辺郡の石上村(奈良県天理市布留町)にフツノミタマを遷して祀りました。
石上神宮の始まりです。


そしてこの後、霊剣フツノミタマは他の様々な神宝と共に、地中深く埋められる事になります。
埋めた理由や時期は分かりません。

朝廷の宝物や武器、祭祀具の管理を任されていた物部氏が、呪術的な意味で埋めたのかもしれません。
または応仁の乱以降の混乱期に、神宝が盗難、略奪される事を恐れた石上神宮の神職の方々が、神宝を守るために埋めたのかもしれません。

神仏習合が進み、仏教勢力に圧倒され、神宮寺の管理下に置かれた石上神宮の状況は、「柱一つ樹木一本に至るまで自由にならず、甚だしい衰微に至った。(社寺縁起伝説辞典)」というものだったようです。
更にそんな状況下で、尾張武士の乱入、盗賊侵入などもあり、明治に入るまで神職の方々は神宝や社領を守るのに必死だったそうです。

そして江戸幕府の終焉と明治政府の神仏判然令を経て、神宮寺の管理下から解き放たれた石上神宮は明治7年、フツノミタマが埋まっているとされていた禁足地の発掘調査を開始します。
玉類、装飾品、武具が多数出土し、とうとう一振りの剣が掘り出されました。

その剣は今、石上神宮本殿でフツノミタマとして祀られています。



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