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日本の島々の誕生(古事記)

大八島国と古代の寄港地

先ず女神イザナミが言いました。
「あなにやし(あぁ、なんと)えをとこを(良い男だろう)。」
次に男神イザナキが言いました。
「あなにやし(あぁ、なんと)えをとめを(良い乙女だろう)。」
二柱の神の結婚が成立しました。

最初に水蛭子(ひるこ)が生まれました。
骨の無い萎えた子でした。
そこで、邪気を払う葦の船に乗せて流し捨てました。
海の向こうには常世があるからです。


次に淡島(あはしま)が生まれました。
(淡路島周辺の岩礁?)
この島も子の数には入れませんでした。


国生みが上手くいかないので、イザナキとイザナミは天に戻って天つ神に相談する事にしました。
占いで、女神から先に求婚したのが良くなかった、と出ました。

今度は先に男神イザナキが声をかけました。
「あなにやし、えをとめを。」
次に女神イザナミが言いました。
「あなにやし、えをとこを。」

そして淡道之穂之狭別島(あはじのほのさわけのしま)が生まれました。
あはじの(阿波への道の)ほのさ(初穂)わけの(男性の)しま(島)。
兵庫県の淡路島です。
「先ず淡路州を以って胞(え)とする。」
胞衣(えな)は胎児を守るもの。
淡路島はこれから生まれる島々を守る役割を与えられました。


2番目に、伊予之二名島(いよのふたなのしま)が生まれました。
四国です。
この島は体がひとつで顔が4つありました。

伊予の国(愛媛県)を愛比売(えひめ)と言いました。
え(可愛い、愛らしい)ひめ(女)です。

讃岐の国(香川県)を飯依比古(いひよりひこ)と言いました。
いひ(飯、粟)より(備わる)ひこ(男)です。
丸亀市飯野町の飯神社に祀られています。

粟の国(徳島県)を大宣都比売(おほげつひめ)と言いました。
おほ(美称)げつ(食物の)ひめ(女)です。
徳島市一宮町の一宮神社に祀られています。

土佐の国(高知県)を建依別(たけよりわけ)と言いました。
たけ(勇ましい)より(備わる)わけ(男)です。

えひめ(可愛い女)と、たけよりわけ(勇ましい男)が対。
いひよりひこ(穀物の男)と、おほげつひめ(食物の女)が対です。


3番目に、隠伎之三子島(おきのみつこのしま)が生まれました。
島根県の隠岐諸島です。
またの名を天之忍許呂別(あめのおしころわけ)と言いました。
あめの(天の)おし(押し)ころ(固める)わけ(男)です。
海上貿易の拠点としても、国防の拠点としても、重要な島でした。


4番目に、筑紫島(つくしのしま)が生まれました。
九州です。
この島も体がひとつで顔が4つありました。

筑紫の国(福岡県の大部分)を白日別(しらひわけ)と言いました。
しら(明るい)ひ(太陽)わけ(男)です。
つくし野市の筑紫神社に祀られています。

豊の国(大分県、福岡県の一部)を豊日別(とよひわけ)と言いました。
とよ(豊か)ひ(太陽)わけ(男)です。

肥の国(熊本県、佐賀県、長崎県)を建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)と言いました。
たけ(勇ましい)ひ(太陽)むか(向う)ひ(太陽)とよ(豊か)くじひ(奇し霊)ね(美称)わけ(男)です。

熊曾の国(宮崎県、鹿児島県、熊本県南部)を建日別(たけひわけ)と言いました。
たけ(勇ましい)ひ(太陽)わけ(男)です。

太陽の御子、天孫族の故郷だけあって、皆『太陽の男』という意味の名前になっています。


5番目に、伊伎の島(いきのしま)が生まれました。
長崎県の壱岐島です。
またの名を天比登都柱(あめひとつはしら)と言いました。
あめ(天)は美称です。
玄界灘に立つ一本の柱のような孤島です。

6番目に、津島(つしま)が生まれました。
長崎県の対馬です。
またの名を天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)と言いました。
あめの(天の)さで(叉手網)より(備わる)ひめ(女)です。
島の形が叉手網(さであみ)に似ている事から名付けられたと言われています。


7番目に、佐渡島(さどのしま)が生まれました。
新潟県の佐渡島です。
またの名は…ありません。

この島だけ神名が無いというのは不自然です。
おそらく、写本をつくる時に書き飛ばしてしまったのだと思われます。
3番目に生まれた島根県の隠岐島と双子だという説もあります。


8番目に、大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)が生まれました。
おお(美称)やまと(日本)とよ(豊)あきつ(トンボ)しま(島)です。

またの名を天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)と言いました。
あまつ(天の)みそら(御空)とよ(豊)あきつ(トンボ)ね(美称)わけ(男)です。

『やまと』は、奈良県天理市の大和神社のあたりの地名だったのが、朝廷の支配地域の拡大と共に奈良県全体の名となり、やがて日本全体の名となりました。

『あきつ』も、奈良県御所市(旧南葛城郡秋津村)の地名だったのが、朝廷の支配地域の拡大と共に本州を秋津島と呼ぶようになり、やがて日本全体をそう呼ぶようになりました。

そして、稲の精霊であるトンボの古い呼び名が同じ『あきつ』であった事から、地名の『あきつ』に連想され、関連付けられました。

そういうわけで本州の神名は、美しい空にトンボが飛び交い豊作を祝っている、という意味の名前を持つ男です。

先に生まれたこの八つの島を大八島国といいます。


以上のように大八島国を生んでから、還る時に、吉備児島(きびのこじま)が生まれました。
岡山県の児島半島です。
昔は半島ではなく島でした。
またの名を建日方別(たけひかたわけ)と言いました。
たけ(勇ましい)ひかた(東南風)わけ(男)です。

次に、小豆島(あずきしま)が生まれました。
香川県の小豆島です。
またの名を大野手比売(おほのてひめ)と言いました。
おほの(大きな野)て(場)ひめ(女)です。

きび(黍)、あずき(小豆)、阿波国や淡路島のあわ(粟)は皆、穀物に因んだ名前です。
そして、大八島国の後に生まれる六つの島々は、瀬戸内航路の重要な寄港地です。



次に、大島(おほのしま)が生まれました。
山口県大島郡の屋代島と言われています。
またの名を大多麻流別(おほたまるわけ)と言いました。
おほ(美称)たまる(舟の停泊する湊)わけ(男)です。
瀬戸内海の渦潮を乗り切る為の停泊場だったと言われています。

次に、女島(ひめしま)が生まれました。
大分県国東半島の東北沖の姫島と言われています。
またの名を天一根(あめひとつね)と言いました。
あめ(天)は美称です。
瀬戸内海の西端に深く根をおろす孤島です。


次に、知訶の島(ちかのしま)が生まれました。
長崎県の五島列島です。
またの名を天之忍男(あめのおしお)と言いました。
あめの(天の)おし(押し、多しか?)お(男)です。
遣唐使船が風待ちをした島です。

次に、両児の島(ふたごのしま)が生まれました。
長崎県五島列島の南の男女群島の男島・女島と言われています。
またの名を天両屋(あめふたや)と言いました。
あめ(天)は美称です。
海上遥か遠くに2つの屋根が並んだように見える事から名付けられたようです。


吉備児島から天両屋島まで併せて六島です。
これで国生みはおしまいです。

次は、いよいよ神生みが始まります。



1、世界の始まり(古事記)
2、日本の島々の誕生(古事記)



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